『延喜式内社・石部神社』

延喜式とは、927年に作られた平安中期の法令集で、醍醐天皇の命令で左大臣・藤原時平らが編集したもので、朝廷の儀式・行事や中央政府の政務細則、地方官庁の法規を集大成したものである。

その当時の有名な神社も書きとどめられ、延喜式の中に記された神社として式内神社といわれ、格式の高い神社としてまつられている。  一見したところ石部神社の境内は、大きな円墳か、前方後円墳のような形をしているが、それを裏付けるような出土品は見つかっていない。

 しかし伊勢湾台風による土砂崩れの時、当時の中学生が奈良時代に多く使用された「祝部式土器」「須恵器」を拾っている。  又境内の近くの畑からは、「土すい」の発見がり、古代の人たちが漁業のおもりに使用したり、ひもを通して首飾りにした珍しいもので、山東盆地が沼地であったという考古学上の貴重な資料とも思われる。  

 元禄7年(1694年)に社殿を改築するために小丘を取り壊したところ親指大の黄金の像が出土した。 以後それを御神体として毎年宮当番が引継ぎ保管し、秋の大祭には本殿にまつり、子供神輿で氏子地区内を巡行している。

 こうした歴史の中、式内社としてまつられる「石部神社」の古さと地位の高さは、我々氏子たちの大きな誇りであり「心のふるさと」「ふるさとの森」として氏神さんへの敬神、敬愛の念を今一度思いおこしたいと思う。         

 【参考資料 昭和43年10月17日氏子編・石部神社1050年祭を記念して 】

神社
参道

石部神社は「みどりのスタンプラリー」 No2 のスタンプの設置場所です。